自分を生きた証を残せたか?次に繋ぐことはできたのか?

Spirit からのメッセージ

こんにちは

なないろLIFE主宰 Life Producer みつよ です。

今回は、看取り学を受講した後に、答え合わせのように言葉がバチバチと心にはまっていったお話です。

看取り学のことを書いたブログはこちら目に見えない世界と目に見えているこの世界の橋渡し~看取り士ってなんだ?~

看取り学を受講した後、

実家の母と電話で話し、

泣き崩れたわたし。

1時間以上泣いていたかも。

その後、もう一つZoomの予定があり、再びパソコンを立ち上げました。

これも、どうしても参加したかったのです。

ルミナさん須藤昇さん入口初美さんのZoom対談。

ルミナさんがオンラインサロンの中で初美さんをご紹介した文の内容が、

わたしの心をぎゅっとつかんだのです。

もの凄くぎゅっとつかんだのです。

【初美さんがあちらの世界で神様に聞かれたこと。「愛しましたか 愛されましたか 愛すべき時を過ごしましたか?」】

【死んだら全部わかるから悟る必要ない】

向こうの世界を体験してきた初美さんのお話を聞いてみたいと、強く思いました。

ただただ そばにいて 「大丈夫だよ」 と言ってほしかった 

初美さんは、沖縄県石垣島にお住まいの方。

2015年。ハブに噛まれて意識不明になります。

その時に臨死体験をされているのです。

死の淵を彷徨っている時、初美さんは「大丈夫だよ」と言ってほしかったと、おっしゃいました。

そう。耳はよく聞こえています。厳密に言うと耳で聞いているのではないかもしれませんけど・・・。

目は閉じていても。

わたしも病気をして、病院のベッドで意識が朦朧として、のちにDr.に「峠は越しましたよ」と言われた経験があります。

でも、わたしは、臨死体験まではいかずに戻ってきたんですけどね。

「もういつ死んでもいいや~。いっぱい頑張ってきたからもう思い残すことなんかない。このまま死ねたら楽でいいな~」

って思って、

「じいちゃんが来てくれるかな?」って、お迎えが来るのを待っていました。

全然怖くなかったです。

痛くも苦しくもなかったです。

ほわほわして、気持ちよかったです。

でも、主人は枕元で「目~開けてくれよ~。がんばれよ~。子どもたち待ってるからさ~」って、懸命に励ますんです。

「もう、がんばれないんだよ。もう、楽になりたいよ」

わたしは心の中で言っていました。

そう。もう十分に頑張った人に「頑張れ」って言葉は、きついんですね。

「大丈夫だよ。俺が付いてるから、大丈夫だよ」

そんな言葉が一番安心できたんだろうなと、思います。

看取り学講座の中でも、「大丈夫」ということばを伝える重要性を語られていました。

身体をさすられながら「大丈夫だよ」って言ってもらえたら、

どんな時も、人は安心できるのではないでしょうか。

手はセンサー

初美さんは、ハブに噛まれて片方の手が今も不自由だそうです。

だからこそ感じた、

の素晴らしさなのだと思います。

指が色、光、音・・・すべての事を感じている。

手はセンサー。

手は、宇宙と繋がっている。

と、初美さんはおっしゃっていました。

わたしは、正規の教員を早期退職した後、

講師として盲学校へ勤務したことがあります。

盲学校に勤務して初めて目が不自由な人たちと関わりました。

生まれつき全盲の女子児童がいました。

彼女は、色の概念がまだよくわかりませんでした。

担当の先生は、どうやって色を伝えたらいいかと頭を悩ませていました。

わたしは、同じ素材で色違いの布を触ったら、色を感じるかも・・・。

と思って、その先生に話してみました。

色はそれぞれ違った波長をもっています。

全盲だからこそ、微妙な波長の違いを手で感じるかもしれないと思ったのです。

その後どうだったのか、その先生と話をしていないのでわからないのですが・・・。

初美さんのお話を聞いて、「あの子、色がわかるようになっただろうな」と思いました。

手が持つパワー。

看取り学でも、そのことを大事にしていました。

看取りとは、『手で触れて、目でしっかり見て、命を受け取る』こと。

触れることは、命を受け取る手段。

死は美しいもの

初美さんは、死は美しいもの。

生と死は同じ。

安らかなるもの。

とおっしゃっていました。

看取り学の中でも、枯れていくその様も美しいと語られていました。

わたしは、華道を学んでいた時があります。

先生が、立ち枯れはじめた紫陽花を庭からとってきて、わたしが活けた花の中に挿しました。

途端に花器の風情は晩夏となり、

ひんやり秋の風が吹いてくるようでした。

そして、先生は「枯れていく様もまた美しいのよね」と語ったことを出しました。

種は、条件が整えば、誰に教えられることもなく芽を出し、

世話をしてもらわなくても成長し、

花を咲かせ、

実を実らせ、

次の世代へ必要なことを引き継いで、

枯れて土に還っていく。

そしてまた、次の季節に新たな種が芽を出す。

植物も動物も、人間もみな同じ。

流れは途切れることはなく、

ずっと続いていく。

終わりも始まりもなく、

ずっと続いていく。

死もまた美しい。

ただ生きる 丁寧に生きる わたしの時を生きる

何にもならなくていい。

ただある わたし。

わたしのままで 生きていくしかない。

初美さんはおっしゃっていました。

ここでも出てきた『丁寧に生きる』

『日々の暮らしを丁寧に』

わたしに嘘をついてはいないか?

わたしを生きているか?

大切なことは、それだけなのかもしれない。と思いました。

「峠は越しましたよ」とDr.に言われた頃、

はたと、思い出したことがありました。

「子どもたちに残していない」

「繋いでいない」

「【自分を大切に生きる】【自分を生きる】ということを、伝えていない」

その時は思い出したのに、病気が治ったらすぐに忘れて、

また、自分を置いてけぼりの生活に戻っていってしまったのですが・・・。

神様とは会っていないけれど、

やり残したことを思い出して、戻ってきたのかもしれません。

自分を生きた証を残せたか?次に繋げることはできたのか?

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